プログラムの紹介(ほんの一部です!)

プログラムのテキストをご紹介します!

みなさんにお役に立つプログラムをご用意しています!

プログラム

 

 

 

 

 

例えば、自分取り扱い説明書、就職してから役立つ労働法、就職活動のノウハウなど・・・

みなさんが日常生活で困っていること、就職活動で悩んでいること、

将来の不安や悩みの解決の糸口をセンターで一緒に探しませんか?

プログラム以外では、部屋の片付け・ゴミ捨て・掃除・買い出しなど、場合によってスタッフも相談や同行支援をして生活習慣が、メキメキ身についていきます(^▽^)

生活習慣は、仕事をしてからのあなたの生活を、より確かなものにするでしょう。

ぜひ、ご興味をもたれた方見学をされたい方などお気軽にお問い合わせ下さい♪

 

春本番!!

み なさんはお花見に行く計画を立てましたか?

新宿中央公園では桜が咲き始めました(^▽^)♪

桜

 

 

 

 

センターではメンバーさんと一緒にお花見に行く計画を立てています。

お花見をしながら、外でお団子など食べる予定です!

誰かと一緒にと外で食べるとより一層、食べ物が美味しいと感じるのではないでしょうか。

みなさんも身近にある春を感じてみませんか(*^▽^*)?

 

 

 

「インターンシップ」は労働か、それとも教育か。

2016年は、相変わらず人手不足であり、企業は人材をほしがっている。新卒の採用も従来の大学3年生の12月解禁、4年生時の4月に選考開始が、学生本来の学業専念に支障をきたす事から、3月解禁、8月に選考開始に変わった。しかしながら、これも形骸化はなはだしく、実質6月から選考開始になった。つまり、解禁から選考にいたる期間が短くなっている。

では、学生にどんな影響が出るのか。まず、解禁から選考までの日程が詰まったせいで(実質3ヶ月)業界・企業研究(※卒業生の声や企業の声を聴く)に時間が割けない、ゆえにミスマッチが増える。また、企業側から見ると、優秀な人材を確保するために、去年から話題になっている「終わハラ」(※企業が学生に対し、就職活動を早く終わらせ、他社を受けさせないように囲い込むこと)が多くなる懸念がある。

話は変わるが、昨今、「インターンシップ」(職場体験)制度が、多くなっている。企業側としては、学生に強い印象を持ってもらい、口コミで学生に企業イメージを喧伝してもらえるメリットがある。しかし、その中身はほぼ6割の企業は、人事部が受け入れ先になっており、学生からは、本来業務に就けず(営業や編集など)、会社の中身が分からずじまいの場合が多い。学生にしても、そうは言っても、「インターンシップ」を受けることで、その企業の社員から直接フィードバックがあり仕事や職場の体験が出来た上、会社の中身が見られることや、また、意識の高い学生同士の出会いの場にもなっていることで、その後の就職活動に役に立つ側面はある。しかしながら、問題の本質は、「インターンシップ」と称し、会社の中身を見せる会社と、見せない会社があることである。つまり、「インターンシップ」を悪用し、学生を囲い込む手段にしている会社が散見されることだ。

インターンップ

例えば、業界でも名の通ったIT会社でさえ、地方の大学を卒業予定の学生に対し、「インターンシップ」の名目の元、長時間無給で労働させ、段階を追って責任を負わせ辞めづらくさせる例もある。会社は、ともすると無給或いは、低賃金で学生を戦力として使ってしまうのだ。

インターシップ ビル

「インターンシップ」とは、本来なんであろうか。「労働」なのか「教育」なのか。ここがいま曖昧になり、セミナー形式だけの「インターンシップ」も存在しているという。学生を労働させるからには最低賃金法にかなった、給料を払うべきである。

江戸の昔のSNS 湯島天神の石

観梅の時期が過ぎ、もうじき花見の季節がやってくる。湯島は、亀戸と並ぶ有名な天神様だ。この時期、受験生やその親で賑わいを見せる。

湯島天神 屋根 湯島天神桜

社由来によると、同社は道真公を奉り、1355年、周辺郷民の勧請に係り、後になって、江戸を切り開いた太田道灌によって、手厚く保護されたとある。家康公入府後も、文神として崇敬され、何度か大火にもあったが、諸大名や多数の民の奉献によって現在に至るという。

湯島天神には、社殿に向かい左側に、高さ130センチ、幅60センチぐらいの四角い石が今でもある。その正面には「をしふるかた」(教ふる方)裏面には「たつぬるかた」(尋ねる方)という文字が刻まれている。何でも、裏面には迷子や尋ね人を探す人が、探している人の名前・年齢・背格好・住んでいた町名などを記した紙を貼りつけ、正面には、その迷子などを見かけた人が、それの風体を記した紙を貼っていたという。つまり、この石が「情報交換」の掲示板であったのだ。

当時の江戸の庶民にとって、神社仏閣への参詣は、一大レジャーであった。月や季節によって縁日や行事があり、境内やその周辺で繰り広げられる、踊りや芝居の賑わいを、出店の食べ物をつまみながら眺めていたのだろう。おそらく、身内の手からはぐれた迷子も多かったことであろう。江戸では、特に湯島天神の巫女さんや踊り子は若くて美しいので有名だったそうだ。

また、門前には料亭や陰間茶屋が軒を連ねていたという。今で言えば、さながらAKB48とジャニーズがあわせて見られる、「ハレとケ」を併せ持った場所だった。江戸っ子も現在の若者も、そう考えると趣味思考は大きく変わらない。

不忍に、忍んで通う陰間茶屋 (江戸の川柳)

(しのばずに、しのんでかよう、かげまぢゃや)

無粋になるので、あえて解説は割愛させていただく。

湯島天神 鳥居

現在の湯島は、上野広小路や不忍の池に近い割りに、やけに静かな宅地が広がっている。

 

八木原律子先生がセンターにお越し下さいました!

先日お忙しい中、八木原先生がセンターにお越し下さいました♪

先生には開所に当たり多分にご尽力いただきありがとうございました。

2時間程の話の中で現在の福祉の状況、国の動きなど熱く語っていただきました!

また私たちスタッフの迷いや悩みにも熱心に耳を傾けていただき、ありがとうございました。

八木原先生とお話していると、この職務に就くものとしての使命や資質また思想、哲学を改めて思い返えす良い機会となりました(*^▽^*)♪

更にスタッフ同士はもとより、他機関と切磋琢磨するため、学習会を開催し、地域から信用され必要とされる施設を目指していきたいと思いました!

 

”就労支援”って何だろう?

先日ある会合で、私がハローワークにいたころに相談に来て就職された、当事者の方にばったり会った。

彼女はとても元気そうで、働き始めて4年ほどたったとのことだった。雑談の中で、以前のアパートを引っ越したこと、彼と同棲していること、病状も安定し通院の回数も減ったこと、親が高齢で先行きが心配であるなどを、以前、私に相談していた頃のように、近況報告をしてきた。

 働いたことによって、生活環境・経済状況がしっかりし、何よりも『生きる』ことに自信を持っているのがわかった。

「先生のおかげです、ありがとうございます。」とお礼を言われ、20代だった彼女が、30才を過ぎ、なんか表情しぐさ、全体の佇まいも良い意味で、別人のように感じられた。

私も、去年、前職を辞め当事業(十二社生活・就労センター)を始めたことを報告した。

しかし、私は彼女の表情がいまいち冴えず、何か話し足りなそうにしているのをなんとなく感じた。 そこで、私は職場での状況(業務内容、人間関係、支援の有無など)をもう少し詳しく聞いた。

 「先生、職場の業務や人もすごく良いんです。だけど支援者と合わないんですよ。」

彼女が言うには、定期的に支援者が訪問に来てくれるのは良いんだが、いつも「体調はどうですか?病状は悪くなっていませんか?前兆はありませんか?」と聞いてくるばかりか報告書を作成させられ、支援者と上司に提出を求められるのだという。

 「もう、入社して4年ですよ。報告も大事かもしれないけど、私は仕事をしに来ているんです。報告に費やす力を本来の仕事に向けたいです。」

又、こうも言っていた。

私の上司は、なんか支援者に遠慮しているのか、直接私に体調・病状のことなど聞いてこないで、必ず支援者を通してしか聞いてこないんです。」

「そんな扱いが、やっぱり自分は障害者なんだな、と思ってしまうんですよ。」

今、現場では事業主側から、「外部からの就労支援はいらない(特にジョブコーチ)」「外部の支援員が、支援に入ることで、当事者と上司の間の人間関係や信頼関係の構築を阻害している。」との声が、上がってきている。

私から言わせてもらえば、阻害している」時点で、それは支援員でもジョブコーチでもないと思うのだが・・・。

しかし、事業主側の気持ちもわかる。今まで、その程度の『支援員と称する、善意の方々』の支援(支援という言葉を使いたくはないが)を、目の当たりに見せられてきてきたのだから・・・。

事業主側も、就労支援に関してはとても勉強をしている。知的障害に限定すれば、マニュアルも出来ているし、ノウハウがほぼ確立している。およそ10年前に比べれば、事業主側の知識や体制整備は飛躍的に向上している。そういう意味で経験も知識も備えている事業主側の方々も増えているは確かである。

 しかしながら将来的に、上記の理由で会社の中から、当たり前のように福祉や医療関係者である就労支援が排除されれば(それはすなわち、連携している医療、保健、家族関係者なども排除されるに等しい)、当事者の権利は脅かされる。残業代の未払い、最低賃金減額特例(昔の除外申請)の悪用、有給休暇の取得抑制・・・健常者も同じだが、当事者は「障害者」であり「社会的弱者」である分、外部の目が閉ざされたら自明であろう。

社会的弱者である 障害者の就労は、就職率だけでなく、これからは「そこでどう働いているか」労働法をバックボーンとした考え方に基づき注視して行くことが、支援員に限らず、広く関係者に意識していただきたいところである。このまま「就職率」「定着率」という数字にだけに目を奪われた支援を続けるならば、

阿波踊り

ライオン

 

「断崖の上で踊りを踊っている」に等しい。

もう一度、精神障害者でいうところの、座敷牢、病院隔離政策下のそれに携わった関係者に思いを馳せてみてはいかがだろう。大方の人々は、その時代において良かれと思い『善意』で一生懸命に尽くしていたに違いない。

 今回、ひょんな所で彼女と再会し、私は、「就労すること」いやそうではなく、「社会に出ること」でこんなに病状や人間の生き方が、彼女をして快方向かわせたこの事実に、就労移行支援事業を始めたことに対し意味が見出せるように感じた。

 

ごはんプラスのボランティア~人と人のつながり~

ごはんプラスのボランティア活動に参加してきました。

ごはんぷらす お弁当

新宿ごはんプラスとは・・・ホームレス状態や生活困窮状態にある人びとを支えるために、毎月2回、都庁のガード下でごはんの提供と、暮らし・健康の相談会を行っている任意団体です。

この日は天候が悪く雨の中、傘をさしてお弁当をもらう長い行列が出来ていました。

私はお弁当を配る担当になり一つずつ手渡しでお弁当を渡していきます。

お弁当は他の団体のボランティアの方が手作りでつくってくれているそうです。

お弁当を配るときは“心を込めて配ってね”と担当の方に教えていただきました。

一つのお弁当が人の手に渡るまでに、多くの人のつながりと協力で行われているのだと改めて思うことができました(*^▽^*)

 今後、土曜日の参加型プログラムに組み込んでいきたいと思います

ごはんプラス

 

*春の訪れ*

私は朝、新宿中央公園を通って出勤をしています。

すると梅の花が綺麗に咲き、春の訪れを感じることができる今日この頃♪

当センターにも春の訪れを感じさせる出来事がありました!!

おかげさまでクリニックの方、関係機関の方のご協力の元、さらにまた当センターに数名の新しい仲間が決まりそうです(*^▽^*)

今後とも十二社生活・就労研修センターを宜しくお願いいたします!

 

 

保証人と連帯保証人の違いを知り、相談できるように。

「連帯保証人」は、ただの「保証人」とは異なる。お金を借りた本人(主債務者)と、同じ責任を負う羽目になる。文字通り連帯して責任を負うのだ。わが国で、もっともポピュラーな保証人が「連帯保証人」である。これの恐ろしいのは、保証人には認められる催告の抗弁権・検索の抗弁権を有せず、分別の利益すら認められないのだ。(詳細は、センターの講義で、お話します)

要は、主債務者とまったく同等の責任を負い、債権者が主債務者を飛び越えて、連帯保証人に全額請求ことが出来てしまうところに恐ろしさがある。

また、連帯保証人が複数居る場合でも、とりやすい相手から全額を請求することも出来てしまうのだ。

「友達だろ、連帯保証人になってくれ。頼む。」「ただの保証人だから、ね、頼むよ。」この言葉の重さが理解できているだろうか。この違いをどれだけ知っているだろうか。

お金の貸し借り、不動産の賃貸契約等において「保証人」といえば、「連帯保証人」のことだ。しかしながら、多くの人はこの違いを分からずに「あいつが困ってるから・・・。保証人ぐらいなら。」と印鑑を押してしまう。

保証人・・・。「連帯」の文字がつくとつかないでは、雲泥の差があるのだ。

覚悟が出来ていないのに「保証人」になったつもりで「連帯保証人」になってしまう人は多い。困って初めて、主債務者の「絶対に迷惑はかけない、大丈夫」などの言葉を信じたことを後悔しても始まらない。

 

今後、センターでは「マネーマネジメント」「知らないと怖いお金の話」と題して、上記のような少し難しい内容を、分かりやすくお話し、給料という「あるまとまった額のお金」を手にしたメンバーさんが、困らないよう、おかしいなと察知できるようすることで、「意識と知識と見識」を持ち、健やかな生活を送れるよう支援していこうと思う。

 

 

どうでもいい事に疑問を持つ「ばかばかしさ」の大切さ。

昔話の始まりは、「昔昔あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」と同じみのフレーズから始まっています。

みなさん、不思議に思いませんか?

・なぜ、時代や場所を限定しないのでしょか?

・なぜ、主人公が往々にしておじいさん、おばあさんなのか?

・なぜ、そんな曖昧な話が何百年も受け継がれているのでしょうか?

桃太郎、浦島太郎、三年寝太郎等などのお話を知っていますね。これらのお話は、小さい頃に、お母さんやおじいさん、おばあさんから恐らく寝物語で聞いたことがあるでしょう。

そのとき、みなさんが頭の中で想起していた、その話の時代・人物・情景は、恐らく見知った紙芝居や絵本の挿絵を参考に、みなさんが知っている人或いは自身の祖父や祖母などに置き換えたり、住んでいた或いは訪れたことのある場所や家(庭の垣根、土間や囲炉裏、家の柱など)を想像で補い、思い浮かべていたことでしょう。

つまり、昔話の設定は、その話を聞いた子どもの数と同じくらい、人物や風景が存在していることになるのです。

登場人物ですが、「ちち」「はは」とすると、話が身近になりすぎるので「濁点」を付けて其々、「ぢぢ」「ばば」にしました。「ぢぢ」であるおじいさんは、山や林で作業をし、「ばば」であるおばあさんは川で洗濯や、炊事をしています。これには、「父の恩は山よりも高く、母の愛は海よりも深い」という儒教的思想に基づいた教訓が込められています。

昔話とは、時代や情景をぼかすことで“想像の自由の幅が広がり、古い昔話が身近な話”に聞くことができたから、代々受け継がれてきたのではないでしょうか。(まっ、話によっては性的な意味合いや、その他エグイ意味合いも本来は含まれていた事も大きいでしょうが・・・。)子供である自分が、遠い昔の行ったこともない何処かで、見ず知らずの登場人物が活躍するが話でありますが、その場所が、「自分の地域」の話であり、孝養をつくすべき「自分の祖先」の話として聞けたからではないでしょうか。

ブログの一回目で、何だこの話、どうでもいいよと思われるかもしれません。「どうでもいい話」は会社での話題づくり、入社面接での参考にしようなどと思ったとたん、「どうでもいい話」の純粋性が失われてしまいます。決して実学ではなく、面白いな、もっと知りたいなという単純・純粋な欲求のみの為に存在しなければなりません。SF作家であるアイザックアシモフ氏は言っています。

「人間は、無用な知識の数が増えることで、快感を感じることのできる唯一の動物である」

今後定期的に、実学だったり雑学だったり、有用無用の情報をつづっていきます。「どうでもいい事に疑問をもつ、引っかかりをもつ」事は、自分が人間であるという事を再認識させる作業だと思います。