知らないと利用者が損するばかりか、支援すら出来ない!!労働法クイズ(回答編)

 ※解説は省略させていいただきます。

・働くときに給料や休日の事などは口約束でも構わない   ×

・労働契約書の内容は、当然、労働基準法に優先される   ×

・契約した労働時間が6時間までなら休憩がなくても構わない    

・日々の残業時間は30分単位で切り捨てしてもかまわない    ×

・作業服に着替える時間は、当然、労働時間に入らない      ×

・週休2日制は法律で定められている      ×

・アルバイトやパートでも有給休暇が与えられるケースもある     

・年次有給休暇は、働いてから1年後に発生する    ×

・最低賃金は都道府県によって金額が異なる      

・退職金は1年以上働いたら必ずもらうことができる      ×

・アルバイトでも労災保険は適用される    

・男性でも育児・介護休業をとることができる    ○

・就業規則は常時10人以上の労働者を雇っている場合は作成義務があるが、10人全  員がパート・アルバイトなら義務はない。    ×

・就業規則は、むやみにみる事は出来ない。上司の許可がいる。  ×

・法定労働時間とは、休憩時間・残業時間を除いた、1日当たり8時間、週当たり40時間でなければならない     ×

・会社と労働者が合意してしていれば、給料の支払いは2カ月に一度よい  ×

・会社と労働者が合意していれば、賃金を払わず働かせることが出来る      ×

・残業は、1日あたり1時間であろうが10時間であろうが、事業主の思いのままに労働者にさせる事が出来る     ×

・退職金は必ずもらえる       ×

 

上記の、問いを理解し、今、あなたの前で起こっている利用者のトラブルが、何が原因なのか、何が意図されて起こって居るのか謙虚に、目を背けず考えましょう。

”就労支援”て何だろう? パート2

昨今、ブラック企業、求人詐欺等労働分野をにぎわせる課題が、多くのメディアで取り上げられてる。

障害者の就労は、多くの専門職に守られているから大丈夫なのか。

先輩就労者から、丹念に聞き取りをした事例を簡単だがあげてみる。

○突然会社より、「人が増えたので・・・」という理由で、労働時間を減らされた。

←労働時間の減少は、給料の減額を意味する。

 

○A型事業所にて。5時間働いているのに、お給料が3時間分しか払われなかった。

 

○退職に伴い、有給休暇が20日あったのに、消化させられずにやめさせられた。

○民間の面接会において、面接を受けた事業所より「株式会社系統」の就労移行事業所のチラシを渡された。

←ご本人は、相当に準備(病院系の支援員とハローワークの支援員がついていた)していたのに。

後日、この方は、別の事業所に採用され、現在も就労継続している。

4番目の事例を除き、3事例は利用者が単独で動いていたわけではなく、「支援者」と称する職業の方がついていました。それなのに、なぜ防げなかったのでしょうか。

我々から見たら、ある意思を持って「防がなかった」様にも見える事例もありました。そこには、就労支援機関そのものの体質と、それを形作る支援員そのものの知識や資質の問題が大きく関与しています。

そしてそれらの問題は、障害者である「当事者の責任」「準備性のなさ」「資質のなさ」であるかのように処理(記録)されてしまっている現状があり、支援員として、その障害者の方を「企業に推した責任」が問われにくい雰囲気があります。

企業と労働者と福祉的支援機関との関係と、企業と労働者と労働組合の関係の違いを理解する事で、見えてくるものはあると思います。

利用者の方は、何も躊躇する事はありません。きちんと何事も、自分に説明してくれる支援員を見つけてください。

支援員の方は、自分が携わっている仕事の使命とは何なのか、どうあるべきか考えて見ましょう。なぜこの仕事に、職業に就いたのですか。

どうでもいい事に疑問を持つ「ばかばかしさ」の大切さ。

昔話の始まりは、「昔昔あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」と同じみのフレーズから始まっています。

みなさん、不思議に思いませんか?

・なぜ、時代や場所を限定しないのでしょか?

・なぜ、主人公が往々にしておじいさん、おばあさんなのか?

・なぜ、そんな曖昧な話が何百年も受け継がれているのでしょうか?

桃太郎、浦島太郎、三年寝太郎等などのお話を知っていますね。これらのお話は、小さい頃に、お母さんやおじいさん、おばあさんから恐らく寝物語で聞いたことがあるでしょう。

そのとき、みなさんが頭の中で想起していた、その話の時代・人物・情景は、恐らく見知った紙芝居や絵本の挿絵を参考に、みなさんが知っている人或いは自身の祖父や祖母などに置き換えたり、住んでいた或いは訪れたことのある場所や家(庭の垣根、土間や囲炉裏、家の柱など)を想像で補い、思い浮かべていたことでしょう。

つまり、昔話の設定は、その話を聞いた子どもの数と同じくらい、人物や風景が存在していることになるのです。

登場人物ですが、「ちち」「はは」とすると、話が身近になりすぎるので「濁点」を付けて其々、「ぢぢ」「ばば」にしました。「ぢぢ」であるおじいさんは、山や林で作業をし、「ばば」であるおばあさんは川で洗濯や、炊事をしています。これには、「父の恩は山よりも高く、母の愛は海よりも深い」という儒教的思想に基づいた教訓が込められています。

昔話とは、時代や情景をぼかすことで“想像の自由の幅が広がり、古い昔話が身近な話”に聞くことができたから、代々受け継がれてきたのではないでしょうか。(まっ、話によっては性的な意味合いや、その他エグイ意味合いも本来は含まれていた事も大きいでしょうが・・・。)子供である自分が、遠い昔の行ったこともない何処かで、見ず知らずの登場人物が活躍するが話でありますが、その場所が、「自分の地域」の話であり、孝養をつくすべき「自分の祖先」の話として聞けたからではないでしょうか。

ブログの一回目で、何だこの話、どうでもいいよと思われるかもしれません。「どうでもいい話」は会社での話題づくり、入社面接での参考にしようなどと思ったとたん、「どうでもいい話」の純粋性が失われてしまいます。決して実学ではなく、面白いな、もっと知りたいなという単純・純粋な欲求のみの為に存在しなければなりません。SF作家であるアイザックアシモフ氏は言っています。

「人間は、無用な知識の数が増えることで、快感を感じることのできる唯一の動物である」

今後定期的に、実学だったり雑学だったり、有用無用の情報をつづっていきます。「どうでもいい事に疑問をもつ、引っかかりをもつ」事は、自分が人間であるという事を再認識させる作業だと思います。