先日ある会合で、私がハローワークにいたころに相談に来て就職された、当事者の方にばったり会った。
彼女はとても元気そうで、働き始めて4年ほどたったとのことだった。雑談の中で、以前のアパートを引っ越したこと、彼と同棲していること、病状も安定し通院の回数も減ったこと、親が高齢で先行きが心配であるなどを、以前、私に相談していた頃のように、近況報告をしてきた。
働いたことによって、生活環境・経済状況がしっかりし、何よりも『生きる』ことに自信を持っているのがわかった。
「先生のおかげです、ありがとうございます。」とお礼を言われ、20代だった彼女が、30才を過ぎ、なんか表情しぐさ、全体の佇まいも良い意味で、別人のように感じられた。
私も、去年、前職を辞め当事業(十二社生活・就労センター)を始めたことを報告した。
しかし、私は彼女の表情がいまいち冴えず、何か話し足りなそうにしているのをなんとなく感じた。 そこで、私は職場での状況(業務内容、人間関係、支援の有無など)をもう少し詳しく聞いた。
「先生、職場の業務や人もすごく良いんです。だけど支援者と合わないんですよ。」
彼女が言うには、定期的に支援者が訪問に来てくれるのは良いんだが、いつも「体調はどうですか?病状は悪くなっていませんか?前兆はありませんか?」と聞いてくるばかりか報告書を作成させられ、支援者と上司に提出を求められるのだという。
「もう、入社して4年ですよ。報告も大事かもしれないけど、私は仕事をしに来ているんです。報告に費やす力を本来の仕事に向けたいです。」
又、こうも言っていた。
「私の上司は、なんか支援者に遠慮しているのか、直接私に体調・病状のことなど聞いてこないで、必ず支援者を通してしか聞いてこないんです。」
「そんな扱いが、やっぱり自分は障害者なんだな、と思ってしまうんですよ。」
今、現場では事業主側から、「外部からの就労支援はいらない(特にジョブコーチ)」「外部の支援員が、支援に入ることで、当事者と上司の間の人間関係や信頼関係の構築を阻害している。」との声が、上がってきている。
私から言わせてもらえば、「阻害している」時点で、それは支援員でもジョブコーチでもないと思うのだが・・・。
しかし、事業主側の気持ちもわかる。今まで、その程度の『支援員と称する、善意の方々』の支援(支援という言葉を使いたくはないが)を、目の当たりに見せられてきてきたのだから・・・。
事業主側も、就労支援に関してはとても勉強をしている。知的障害に限定すれば、マニュアルも出来ているし、ノウハウがほぼ確立している。およそ10年前に比べれば、事業主側の知識や体制整備は飛躍的に向上している。そういう意味で経験も知識も備えている事業主側の方々も増えているは確かである。
しかしながら将来的に、上記の理由で会社の中から、当たり前のように福祉や医療関係者である就労支援が排除されれば(それはすなわち、連携している医療、保健、家族関係者なども排除されるに等しい)、当事者の権利は脅かされる。残業代の未払い、最低賃金減額特例(昔の除外申請)の悪用、有給休暇の取得抑制・・・健常者も同じだが、当事者は「障害者」であり「社会的弱者」である分、外部の目が閉ざされたら自明であろう。
社会的弱者である 障害者の就労は、就職率だけでなく、これからは「そこでどう働いているか」労働法をバックボーンとした考え方に基づき注視して行くことが、支援員に限らず、広く関係者に意識していただきたいところである。このまま「就職率」「定着率」という数字にだけに目を奪われた支援を続けるならば、
「断崖の上で踊りを踊っている」に等しい。
もう一度、精神障害者でいうところの、座敷牢、病院隔離政策下のそれに携わった関係者に思いを馳せてみてはいかがだろう。大方の人々は、その時代において良かれと思い『善意』で一生懸命に尽くしていたに違いない。
今回、ひょんな所で彼女と再会し、私は、「就労すること」いやそうではなく、「社会に出ること」でこんなに病状や人間の生き方が、彼女をして快方向かわせたこの事実に、就労移行支援事業を始めたことに対し意味が見出せるように感じた。